赤橙

天気のいい週末だった。掃除をしたり、処分する本をまとめたり、アイロンをかけたり、カーテンを洗ったり、サンダルをしまったり、ずっと見ないふりをしていた「家のこと」を、いろいろとして過ごした。

「こんなとき、あなただったらどうする?」と、すきだったひとに、ふと尋ねてみたくなるようなできごとがあった。最近のことだ。
彼はいつも強引なひとだった、その一方で、視座を高く、視野を広く、ものごとを見ているひとでもあった。強引だったのは、自信があったからだと思う。わたしは、自分にないものをいくつも持っている彼のこと、ずっとうらやましいと思っていた。
その最近のできごとは仕事がらみのことで、でもまぁ別に、解決したり、なんらかの答えを出さなければならなかったりするようなものではない。とはいえ、わたしの社会人としてのあり方みたいなものを問われているような気もしていて、それで、わたしの心にずーっと重く乗っかっている。彼だったらこの局面をどう切り抜けるだろう?などと想像してみても、わたしは彼のような視座の高さも視野の高さも、揺るぎない自信もあいにく持ち合わせていないのだから、わたしはわたしなりの切り抜け方を見つけるしかない。それをわかっていてもなお、今でもときどき、ほんとうにときどき、すきだったひとのことをそんなふうに思い出す。
別に彼じゃなくたって、相談できるひとたちがまわりにいてくれるのだけれど、特に仕事の話となると、わたしに忖度することなくなんでも正直に伝えてくれた彼を頼りたくなることがある。わたしのひとりよがりにならないように、間違ったほうへひとりで歩いていかないように、職場の仲間として、先輩として、いつもちゃんと見ていてくれていたのだと、いまならよくわかるから。

春から夏にかけて、会社のひとたちとあちこち出かけていたんだけど、そういえばここになにも書かずにいるうちに、札幌はすこしずつ秋色に染まりつつある。紫陽花は赤く退色し、ナナカマドの実は赤く熟れ、朝夕の風はちょっと、いや、わりとつめたい。
そうか。だって来月か再来月には、もう初雪が降るかもしれないのだ。
季節のうつろいはいつも早すぎて、どうにも、わたしの気持ちがそれに追いついていない。

涙色

もう7月も終わるというのに、なかなか長袖を手放せずにいる。
近くにいる、遠くにいる、大切なひとたちのことを想いながら、夜が更けていく。

「irodoriさんが給与の担当じゃなくなったら、年末調整のこと、誰に聞けばいいの〜?」
昨年の春、わたしが札幌に発つ前の日に、本社ビルのエントランスで偶然Kさんにお会いしたとき、Kさんはそんなふうに冗談を言って笑っていたのだった。

どんなに忙しくても、どんなに苛立っていても、「ありがとう」と言われたらやっぱりうれしいし、役に立ててよかった、と思う。給与担当者として働いていたときは、特にそうだった。Kさんはもともと人事部にいらした方で、年末調整時期の給与担当者の大変さもよく理解してくださっていて、だからこそ、お会いするたびに「あのときは本当にありがとうね」「irodoriさんのおかげですごく助かったよ」と、いつも笑顔で声をかけてくださったのだと思う。ずいぶんと出世されて偉くなられた方なのに、いつもスマートで、ちょっとお茶目で、わたしのようないち担当者にも気さくに接していただいた。

「今度、ぜひ札幌にも出張にいらしてくださいね」
「ありがとう。札幌でも元気に頑張ってよ」

Kさんが亡くなったという報せが届いたとき、そう言ってお別れしたあの春の日を思い出さずにはいられなかった。柔らかな陽光が差し込む、穏やかな昼下がり。Kさんが笑った顔までちゃんと覚えていたし、これからもずっと覚えていたいと思う。

「またいつか」が来ることを、わたしはどこかで信じ込んでいた。それを、少し後悔している自分がいる。また、も、いつか、も、来ないかもしれない未来があることを、この歳になってもまだ覚悟できずにいるのかもしれない。

わたしのことをそっと想っていてくれるひとたちに、いま、とても会いたくなった。

紅色



少し前の話だけれど、去年の暮れのある夜、東北から北海道まで広範囲で大きく揺れた地震があった。わたしが住むまちは震度3。でも、久しぶりに感じた大きな揺れで、その程度とはとても思えないような地震だった。
翌朝会社に出勤すると、当時金沢で能登の復興の仕事をしていた会社の先輩からメールが届いていた。地震は大丈夫だったかと、わたしの身を案ずる内容だった。

先輩と初めて会ったのは10年くらい前、福岡にいたときのこと。同じ宿舎に住んでいたものの、仕事ではまったく絡むことがなく、一緒に飲みに行った記憶もわずかしかなかった。先輩はわたしより一年先に異動で福岡を去り、長らくそれきりだったから、わたしは先輩のことを覚えていても、先輩はわたしのことなんてすっかり忘れているだろうと思っていた。

数年前、給与の仕事をしていたときに、その先輩が金沢に異動することになった。金沢の事務所はわたしの担当で、異動調書に上がってきた先輩の名前を見て「あぁ、懐かしい名前だな」と思った。
しばらくしてわたしの札幌への異動が決まり、ちょうどそのころ、突然先輩から電話がかかってきた。異動時期ならではの殺伐とした繁忙期、先輩とのその電話がとても楽しくてよく笑い、ふっと心が軽くなったことをよく覚えている。
それから、先輩はときどき思い出したようにメールをくれるようになった。昨年秋に金沢に旅行に行ったとき、先輩と同じ事務所に勤める後輩に「事務所のみんなで食べてね」と渡した札幌のお土産についても、先輩からわざわざ「ありがとう」とお礼のメールが届いたりもした。

そして冒頭のメールである。
地震のニュースを見て、わたしのことを思い出してくれたのだろうか。当時は職場の人間関係に悩んでいたこともあり、先輩のそういうさりげないやさしさがたまらなくうれしくて、とてもありがたかった。

先日、久しぶりに先輩から連絡があった。先輩は、4月から横浜で働いている。
8月に道東に行く予定を立てているらしく、交通手段などについていろいろと聞かれたので丁寧に返事をした。先輩の旅程がちょうどわたしが北見に帰る日程と重なっているという話をしたら、先輩に「北見で会えないか」と言われた。札幌ではなく、北見で!
正直、10年くらい会っていないから先輩の顔もよく覚えていないし、電話やメールでのやりとりしかしていないし、でも、その少しのやりとりだけで、先輩がとてもおだやかでいいひとだということは火を見るよりも明らかだ。コミュ力低めのわたしなので、「10年ぶりに会っていったい何を話せばいいんだろう?」という心配もあるし、なんだか緊張もするけれど、わたしも先輩に久しぶりに会ってみたいなーと思った。

今年度は職場でも(やっっっと)周りのひとに恵まれて、忙しくも楽しくてとても充実した毎日。週末は週末で、職場のみんなといっしょにお出かけしたり旅行に出かけたり、超アクティブに過ごしている。
2026年ももう折り返し地点。なんてことのない毎日を大切に、笑顔で楽しくしあわせに、咲きはじめたタチアオイのように、たおやかに、まっすぐに、生きていきたい今日このごろです。