向日葵色

福岡にいたころに恋をしていた会社の先輩から、ミスチルのアリーナツアーに一緒に行かないかと連絡があった。もし行くならわたしを同行者としてファンクラブの先行抽選に申し込んでくれるという。二つ返事で「行く!」と伝えた。

ミスチルを聴くとどうしてもすきなひとのことを考えてしまうから、ここ数年、ほとんど彼らの曲を聴くことはなくなっていた。去年出た新しいアルバムも一切耳にすることなく今日まで過ごしてきた。
でも、すきなひとにはっきりと「さようなら」を告げて彼との連絡手段も絶ったいま、ときに言いようのない後悔とさみしさに押しつぶされそうになるわたしのことを、先輩がどこか遠くから見ていたように思い出してくれたことが素直にうれしかった。先輩といっしょなら、またミスチルをじっくり聴くことも怖くないんじゃないかな、と思った。

わたしはミスチルの「himawari」という曲がすきで、あの曲に登場する女性のような、凛としたひとになりたいと思っていた。



いつも
透き通るほど真っ直ぐに
明日へ漕ぎだす君がいる
眩しくて綺麗で苦しくなる

彼にぶつけたい恨みつらみのひとつもこぼさずに、関係を終わらせる。
時間がかかってもいいから、彼への想いを断ち切る。
彼をすきになったころ、いつか、終わりがきたらそうしようと心に決めていた。
すきなひとのことを一切責めることなく、ただ、感謝の気持ちと、彼とその家族の幸せを願っていることだけを伝えて関係を清算したのは、わたしなりの最大のやさしさであり気遣いであり、自分との約束だった。
それがのちに自分の首を絞めることになったとしても、わたしはそうしたかった。

じんわりと泣きたいような死にたいような気持ちを抱えながら、わたしは毎日を生きている。

灰桜



三月の終わりの春の嵐で傘が壊れた。横浜に来てから買った真っ赤な傘は2年と持たなかった。安物だったのと、横浜ならではの強い風に知らぬ間にダメージが蓄積していたのかもしれない。
傘って頻繁に買い替えるものじゃないし、せっかくなら、雨の日が楽しくなるようなお気に入りの傘が欲しいなぁ、と思って横浜へ出かけた。そごうをうろうろして、ロフトをうろうろして、あんまりピンとくるものに出会えず困ったなぁと思いながら高島屋へ。
シンプルで、汚れが目立たなくて、飽きずに長く使えそうな色柄で…パッと目に入ったギンガムチェック。「これだ!」と思って広げてみると、一般的な傘よりもわずかに丸みを帯びたフォルムがやりすぎ感なく、大人が持ってもちょうどいいかわいさを醸し出している。わたしの好みにどんぴしゃでうれしくなって、どこの傘かなぁと思って確認してみるとアニエスべーだった。あー、なるほど!ただシンプルなだけでなくさりげないかわいさを絶対に忘れない感じ、とてもアニエスべーっぽいなと思った。
そんなわけで、ほぼ一目惚れで新しい傘を購入したのが先週の話。花曇りの日が続くけれど今のところまだ新しい傘の出番はなく、わたしは雨が降る日を心待ちにしているのである。

4月の最初の一週間は忙しさの極みだった。心身ともに疲れ果てて、今朝はベッドから起き上がることが非常に困難だったし、午後もソファで惰眠を貪るなどして、今日はひたすら体力回復に努めていた。
4月から人事部に同期がもうひとり増えた。彼はわたしの斜め前に座り、さらにその斜め後ろには人事部でいっしょに働きはじめて3年目の同期も引き続きいる。わたしの同期はみんな仲がいいから、毎日の職場もちょっとだけにぎやかになり楽しくなった。一方、新しい課長はけっこう厳しい人のようで、わたしはかなり警戒心を強めている。(それも異常な疲れの要因のひとつだと思う。)

今年も家の裏手の山からうぐいすの啼き声が聞こえてくるようになった。それはわたしにとって、桜が咲くのと同じくらいに春の訪れを実感させる。そのうち、家の隣の建物の軒下ではツバメが子育てをはじめて、そのころには百日紅が咲いて、紫陽花が咲いて、梅雨がやってきて、灼熱の夏に苦しめられるようになるんだろう。

このまちで過ごす三度目の季節は、きっと今年もいろとりどり。
一年って本当にあっという間だなぁと思いながら、満開の桜を見上げた。

空色

「異動するなら札幌、札幌に行けないなら異動したくない」というのがわたしの希望だったから、わたし自身が4月からも引き続き給与の仕事をすることについて、特に思うところはなかった。でも、給与班の柱であった先輩がただひとり異動することになり、その後任としてやってくる新しい先輩が給与業務未経験者となると、これまでどおりにはいかないだろうということは容易に想像がつく。
桜も開花して、不安でいっぱいの春がいよいよやってきた。

昨日は仕事を定時で終えたあと、会議室で納会という名の立食パーティーがあって、その後、人事部行きつけのお店で二次会が開かれた。
途中、ほろ酔いの部長がわたしの隣に座り、「来年度の給与班はirodoriさんが要になると思うからよろしくね」とおっしゃった。わたしが異動しないのは先輩が先に給与班を卒業するからだとなんとなく察しがついていたけれど、部長にあらためてそんなふうに言われると本当に身の引き締まる思いがした。「三年目も一生懸命がんばります!」と笑顔で答えるのが精一杯だった。

多くの役職員にとっては「給与なんか支払われて当たり前」だから、われわれが支給ミスを最小限にするためにどれほど神経を尖らせているかなんて、たぶん誰も考えたことはないだろう。給与業務は憎まれこそすれ決して喜ばれることのない、とても地味な仕事だ。
給与の担当になるまで自分の給与明細すらまともに見たことがなかったわたしが、この二年間で「こいつが残るなら給与班は大丈夫だろう」と思ってもらえるようになったのだとすれば、それはとても喜ばしいことだし、二年間、実直にがんばってきて本当によかったと思う。

でも、そもそもわたしがここまでやってこれたのは、なにも自分だけががんばったからではない。「ミスしたら僕もいっしょに謝るから大丈夫」と真摯に言い続けてくれた課長と、うっかりしがちなわたしをフォローしてくれた先輩と、いっしょに悩んで考えてくれる後輩たちがいてくれて、部長をはじめとした部の三役にもいつも温かく見守ってもらいながら、この上なくいい環境でのびのびと働くことができたからだ。だから、まわりのひとたちには本当に感謝しかない。わたしががんばれるのは自分のためだけじゃなくて、みんなに支えられているからだなぁとしみじみ感じる夜だった。

「給与業務こそ、みんなの生活を担っているんだ!」という気概と誇りをしずかに持ちながら、そして、まわりのひとたちへの感謝を忘れずに、4月からもわたしなりに一生懸命やってみようと思う。