新緑

「ランニングのついでに会いに行こうと思った」
と彼から連絡があった日、結局彼に会うことはなかったのだけれど、彼もわたしと同じ気持ちでいてくれたことを知って、わたしは余計に彼に会いたくなってしまった。

ふたりで会うようになったころ、彼は「3月までは仕方がないんだ」と何度も繰り返していた。晩秋に彼との関係を清算したはずが、結局、彼に押し切られるようにして再び関係を持ちはじめてからも、彼はわたしを抱きしめて同じ言葉を何度もつぶやいた。それは、まるで彼が彼自身に言い聞かせているようで、わたしは彼の腕の中で例えようのない気持ちを持て余しながら、彼の柔らかい髪をそっと撫でることしかできなかった。
彼に抱きしめられると、彼のワイシャツはいつも洗濯物のいい匂いがした。わたしはそのたびに、彼が家族を愛し、愛されていることを思い知らされて、「3月までじゃない、早く終わらせなくちゃ」と焦る自分と戦ってはあっさり負けていた。
彼も、わたしも、どうしようもなく弱い人間だった。

彼に返事はしなかった。途切れたLINEを眺めては、毎日、毎日、来る日も来る日も彼に「会いたい」と思いながら、いつか諦めがつく日をじっと待ち続けている。

「会いたい」というわたしの想いが、どこまでも一方通行だったらよかった。
3月の終わり、彼とふたりで会うことはもう二度とないと固く心に決めたあの日の気持ちのまま、彼のことを上手に忘れられる日がちゃんと来るように、もうすこし、あとすこし、そう思いながら毎日を過ごしてきたのに、彼はそんなわたしの気も知らないで勝手なことばかり言う。

でも、だけど。

横浜にやってきたいま、彼と同じ沿線に住んでいるとはいえ、札幌にいたころとは違ってきっと簡単に走って会いに来れるような距離ではないだろう。それでも彼がわたしに「会いたい」と思ってくれたこと、その気持ちを伝えてくれたこと、わたしはうれしくてたまらなかった。