虹色



Mr.Childrenの30周年記念ツアー「半世紀へのエントランス」に行ってきた。

いつもなら、福岡にいたころに“すきだったひと”がファンクラブの抽選でチケットを取ってくれるというのが恒例だったのだけれど、今回は誘いもなく、コロナ禍ということもあってそのことを特に気にも留めていなかった。まだ札幌に雪が降り積もっていたころ、わたしは自分で抽選に申し込んだ。5月10日、その日はまさにデビュー30周年記念日で、わたしが手に入れたのは図らずもそんなレアチケットだった。

前回のドームツアー「Against All GRAVITY」以来の東京ドームには、おそらく数万人ものひとが押し寄せていた。誰しもが一様にマスクをしていること以外は、コロナ禍になる前となんら変わらないように思えた。


グッズを買い求めるひとの列、会場周辺の写真を撮るひとの群れ、そこここに座って、立って、“誰か”を、“何か”を、待つひとたち。ここ数年、これほど多くのひとに囲まれることなどなかったから、わたしはそれを快にも不快にも思うことなく、懐かしさにも似たような不思議な気持ちでその光景を眺めていた。

ひとの波に押されながら41ゲートを目指して歩いていると、ふと、正面から見慣れたひとがこちらに向かってくることに気がついた。思わず声をかけたけれど、そのひとはまったくわたしに気づくことなく突然Uターンした。小走りで追いかけ、肩に触れ、名前を呼んだ。

いないはずの“すきだったひと”が、わたしの目の前に現れた。

「よく見つけましたね」と彼は驚いていたけれど、それ以上に驚いたのはわたしだった。この数えきれないほどの人混みに紛れた
たったひとりの彼に、こんなふうに遭遇するとは誰が予想できただろう。彼は、ファンクラブの先行抽選のメールを見逃していて、いつものようにわたしたちを誘うことができなかったそうだ。「だから、今日は僕も自力でチケットを取りましたよ」と言っていたけれど、まさか同じ会場の同じ日のチケットを取って、しかもこの人だかりの中から彼を見つけるだなんて思いもしなかった。
彼も同じく41ゲートからの入場で、「終演後にまた落ち合いましょう」と約束をして別れた。それからほどなくして、ライブが始まった。

ステージの上でのびやかに歌ったり、演奏したり、走り回っている大好きなひとたちの姿がそこにあった。大好きなひとたちが元気ていてくれて、「会いたかったよ」と言ってくれて、変わらずに楽しそうにステージに立ってくれて、素敵な歌をたくさん届けてくれて、30周年を迎えた記念すべき日に同じ場所にいることができて、わたしはそれだけで心からうれしかった。
だって、もう会えないかもしれないと本気で思っていたから。コロナ禍が長引いて、ライブどころじゃなくなってしまって、わたしはその間に何度も生きることを諦めそうになっていたから。

いろいろな記憶が走馬灯のように駆けめぐって、開始10秒で涙が止まらなくなった。泣くような曲じゃないのに、ぽろぽろとあふれる涙をどうすることもできずにいた。
すきなひとが一番好きだと言っていたあの曲も、すきなひととはじめていっしょに過ごした夜に二人で聴いた曲も、ひとりぼっちになってから飽きるほど繰り返した曲も、どんな曲も、彼の顔がぼんやりと頭に浮かんだ。切なくて、悲しくて、苦しくて、でも、たいせつに抱きしめておきたい思い出ばかりだった。会いたくて、まだ大好きで、今も忘れられなくて、そんな自分が嫌で、嫌で、大嫌いで、もう、こんなに苦しいなら消えてなくなりたいと何度思ったことだろう。
…だけれど、彼らの全身全霊のパフォーマンスを目の当たりにして、やっぱり生きていてよかったと心から思った。生きづらいこの世界を、救いようのないわたしの人生を、もうすこしだけ、あとすこしだけ、生きてみようと思った。
わたしはあの日、たしかに、大好きなミスチルに生きる力をもらった。

終演後、“すきだったひと”と再び落ち合って、3年前のライブ後にみんなで訪れた店を探し歩いて同じ店に入った。ふたりきりで飲むのは、たぶん、福岡で最後に過ごしたあの夜以来じゃないかな。楽しかった。あんなに笑い転げたのはほんとうに久しぶりで、あんまり楽しくて、帰りの電車は終電だった。

実は、ライブの日の朝、すきなひとから
「今日でしょ?楽しんできて」
と、たったそれだけのメッセージが手のひらの中に届いていた。気がついたのは午後、会社を退社してからのことで、返信したのはライブが始まる1時間前のことだった。
ライブに当たったことはそれとなく伝えていたけど、そんなのまだ札幌が吹雪いていたころの話だ。彼の真意はいつもいまいち読めないし、こういうことをされるから、わたしは彼のことを忘れられずに苦しんでいるのだと思う。
いつも気にかけてくれてありがとう、と、すきになってくれてありがとう、と、いつか、心からそんなふうに思える日がくるだろうか。彼といっしょにいてしあわせだった日のことも、さみしかった毎日のことも、笑って思い出せる日がくるだろうか。その日まで、わたしはちゃんと生きていられるだろうか。

いや、生きていたいな。
わたしは、わたしの救いようのない人生を、わたしなりにちゃんと生きていきたい。
わたしだけじゃない。みんなに生きていてほしい。家族も、友達も、会社のひとたちも、彼にも、彼の大切な家族にも、有名人も、世界中のひとも、見ず知らずのあなたにも、わたしは生きていてほしいと思っている。どうか、どうか、いなくならないでほしいと思っている。

「半世紀へのエントランス」に、わたしも足を踏み入れた気持ちで生きていこう。20年後は50代半ば。そのときのわたしが、いまよりもっとしあわせであるように。そんな未来を描きながら生きていく。ひたむきに、あきらめずに、生きていく。
アンコールで、「生きろ」と、大好きなひとたちが力強く伝えてくれたことが何よりのプレゼントだった。生きよう。そう素直に思い直すことができた自分を、いつか誇りに思える日がくるまで。