tear's blue

社内報3月号は先日無事校了を迎えた。忙しくも楽しい日々だった。連日の残業でどんなに帰りが遅くなっても、身体に多少の不調が出るくらいで精神的につらいということはなかった。「この仕事、一体いつ終わるんだろう…」と途方に暮れていた2週間前だって、そんな状況を心のどこかで楽しんでいる自分がいた。
とはいえ、週末になれば広報誌の方の取材に出掛けることもしばしばで、自宅は散らかり放題、キッチンにもしばらく立っていないし、洗濯物は山のよう。睡眠不足による肌荒れは薬局で買ったビタミン剤でなんとかするような、そんな生活だった。
最終稿を確認し、編集後記を書いて、印刷会社にすべての入稿データを渡したときの解放感ったらなかった。同時に、一抹の寂しさも感じた。

翌日、とうとう先輩の異動が決まった。決まってしまった。
広報の仕事が初めてのわたしに、その「いろは」を文字どおり“叩き込んで”くれたのは先輩だった。おかげでこの一年、先輩には何度も泣かされたし、悔しい思いもしたし、自分の無力さに呆れ果て働く目的を見失い、「こんな仕事辞めてやる!」と本気で考えたこともあった。
でも、どんなに厳しい言葉の中にも、先輩の優しさと温かさ、何よりわたしへの大きな期待を感じないことはなかった。先輩のその思いに応えたい―その一心で必死に食らいついたからこそ、今、この仕事を心から楽しいと思うわたしがいる。
先日課長と面談して、今年度の下期の評価を伝えられた。我が社はいわゆる相対評価で、5段階評価の3をもらうひとが大多数の中、わたしは4の評価をいただいた。その上で、課長からは「上期に比べて格段に実力がついてるよ」と身に余る言葉まで頂戴した。
出来が悪く覚えも遅いわたしを、辛抱強く指導して温かく見守ってくれた先輩のおかげ。それしかないと思う。この感謝の気持ちを先輩にどう伝えたらいいのか、わたしはまだ悩んでいる。

その日の飲み会で、赤ワインをたくさん飲んで大いに酔っぱらった先輩は、終電が迫り先に帰ろうとするわたしの頭をふいに触って、ぽんぽんとやさしくなでてくれた。その瞬間、「あぁ、先輩にとっては出来が悪くても教えがいのあるかわいい後輩でいられたんだな」と、わたし自身も酔った頭でそんなことを考えた。
先輩も、今回の異動は少なからずショックだったようだ。わたしもショックだった。でも、すべては会社が決めたこと。仕方がないけどどうしようもなく心細くて寂しくて、わたしは泣きながら電車に乗って帰った。
次の日、先輩は二日酔いで午前中仕事を休んだ。わたしもなんだか気が抜けてしまって、ほとんど仕事が進まなかった。

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三連休の南三陸町。左奥に見えるのは塗装工事を終えた防災庁舎。被災地の上にもきれいな青空が広がっていた。
春、出会いと別れの季節はすぐそこに。