極彩色

観覧車の明かりが消えたまちを、わたしはまだ知らない。いつも会社を出る時間、その大きなシンボルは煌々とまちを照らし続けている。七色のネオンは次々と色を変え、そのたびに、辺り一面が極彩色に変化する。
会社のロビーでエレベーターの到着を待ちながら、その様子をぼーっと見下ろす時間が気に入っている。年度末に向けて仕事は佳境に入り、ここのところ、あまりの忙しさに毎日があっという間に過ぎてゆく。帰宅は連日23時を回り、深夜にひとりで食べる夕食ほど虚しいものはない。そうは思いながらも、この状況をどこか楽しんでいる自分もいる。
横浜にやってきたころは、毎晩そのうつくしい夜景に目を輝かせながらまちを歩いていた。さすがに今はそれにも慣れて、ただ淡々と、駅に向かって足早に歩くだけだ。金曜日、ふと顔を上げると駅のホームの向こう側に半分の月が見えた。円弧がちょうど下を向き、それはまるで大きな口をあけて笑っているかようだった。ネオンのうつくしさとは違う、つめたくてやさしい冬の月明かり。

月と言えば、向田邦子は「思い出トランプ」という本の中で「大根の月」という短編を書いている。その意味するところは、昼間、青い空に白く光る月を「切り損なった薄切りの大根」に例えたもので、わたしはそれを初めて読んだときに言いようのない驚きと感動を覚えたのだった。ものを書くひとの観察力、洞察力、そしてそれを表現する力は、常人にはとても及ばないことを、そのときはっきりと悟った。すこし前の話だ。
それ以来、見慣れた下弦の月はわたしにとって薄切りの大根だし、大根を切り損なったときには、下弦の月よろしく円弧を右や左にして天井に翳してみる。たったひとつの比喩表現が、いつまでもわたしのこころをとらえて離さない。

図らずも、この会社にいながらなぜか「もの書き」に近しい仕事をしている今、言葉が持つ力をあらためて実感する毎日だ。だからこそ、書くための言葉だけじゃなく、誰かに思いを、気持ちを伝えるための言葉もたいせつにしたい。そう考えはじめた。
この「もの書き」の仕事に従事する期間はせいぜい数年だけど、その数年のうちに、わたしは、この会社がなくなるまで誰かの目に触れ続けるであろう文章をいくつか書き連ねることになる。それは、今の自分が先輩方の文章を参考にするために何度も何度も読み込んでいるのと同じこと。
文字は、言葉は、文章は、その当時をありありと映し出す。誰かの思い出話に耳を傾けるより、ずっとずっと、ありのままの時代が伝わってくる。
わたしもそんな文章を書きたいと思う。会社としての動きだけでなく、そこで働く人々の喜びも悲しみも悔しさも幸せも、すべてきちんと伝えたいと思う。そのためにどうすべきか、何をすべきか。手探りの状態はしばらく続くけど、まちのネオンも月の明かりも、足元を照らす光が消えることはないと信じている。

言いようのない寂しさを紛らわせるための仕事があって、よかった。