橙色

いよいよ28歳も終盤なのだが、いい年こいて居酒屋で終電を逃し、カラオケオールで朝まで大騒ぎした。実家暮らしだったせいで、学生時代ですらほとんどそんな経験なかったのに。始発電車で帰る途中、ちょうど先週のわたしが寝坊して乗り逃した上りの始発電車が横浜駅のホームに到着するのを見た。
そうか。すきなひとに久しぶりに会ってから、もう一週間が経とうとしている。

天神の高速バスターミナルに到着し、雨が降る中約束の場所へ向かった。何度か訪れたことのある海鮮がおいしい居酒屋。彼に、お世話になった上司をふたり呼んでもらってみんなで一緒に飲むことになっていたけど、お店にはわたしが一番に到着した。15分ほど待って、「あれ、もう来ていたの」と懐かしい声が背後から聞こえて振り返った。どうしても会いたかったひとたちがそこにいた。
しばらく見ないうちに彼は…ううん。何も変わっていなかった。けだるそうにお酒を飲むところも、目尻を下げてやさしそうに笑う顔も、甘い香水の匂いも。変わったのはわたしの気持ちだけだと悟った。このひととこれ以上の関係になることはないとはっきり覚悟したし、何より、彼とそうなることをわたし自身が望まなくなっていた。
今でもすきだと思う。彼以上のひとが現れない限り、わたしはいつまでも彼を想いながら生きていくと思う。だからもちろん、彼の顔を見た瞬間、ホテルの前で震えながら気持ちを伝えたときのことを思い出さずにはいられなかった。それでも、あの日のように彼を想って泣くことなんて、もう、きっと、二度とない。
2時間半ほどたっぷり飲んだ。博多駅近くにホテルを取っていたわたしは、上司たちと別れ、彼といっしょに地下鉄に乗り込む。ほんの10分足らずのふたりきりの時間。彼のとなりはやっぱり居心地が良かった。「またミスチルのライブに連れて行ってね」とお願いしたら「俺が関東に戻ってからね」と言ってくれて、半年前と何ひとつ変わらないこのやりとりに懐かしさを覚えると同時に、わたしは心底安心したのだった。
最後は「またね」と手を振り、振り返ることなく別れた。
理由はわからないけど、なんだかとてもすがすがしい気持ちだった。

彼とふたりで何度も歩いた福岡のまちを、わたしはずっと忘れない。彼をすきだったことも、彼にふられたことも、いいこともわるいこともぜんぶぜんぶ。うれしい日もあった。せつない日もあった。さみしくてかなしくて涙がこぼれる日もあった。それでも、あの2年間のわたしはたしかにしあわせだった。
忘れたくない。覚えていたい。思い出はちゃんと抱きしめて、今日を、明日を、歩いてゆく。

ところで、歌の上手な上司におねだりしてカラオケで歌ってもらったチューリップの『青春の影』、すごくよかったなぁ…と思い出し、繰り返し反芻しながら眠りについて、目が覚めたら12時過ぎだった。
晴れわたる秋空の下、隣駅の先にある大きなスーパーまで散歩がてら出かけた。傾きかけた太陽の光を全身に浴びた街路樹はきらきらと黄金色に輝いて、音も立てずひっそりと秋が深まっていることを知る。泣きたくなるような切なさに胸を焦がし、でもどうしようもなくしあわせで、川沿いを歩きながらいろいろなことを思い出した。とても贅沢な祝日だった。