mandarin orange

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大船渡のBRT駅前。

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降りしきる雨の中眺めた、南三陸町防災庁舎。(ぼやけた)

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女川駅から海を望む。濡れた地面がとてもきれい。

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石巻にもほら、少しずつ建物が建って。

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青い空にきらめくブルーインパルスの機体は、どこまでも自由だった。


以前東北の被災地を訪れたのは、もう3年も前のこと。
3年前のこの日、わたしはすきなひとと石巻の同じ場所を訪ねていたのだった。


今回は出張で。職場は東北での被災地復興には多分に関わっている組織のため、4月の異動で初めて本社の某部署に配属となったひとたちと、2泊3日の東北視察ツアーが敢行されたことによる。良いメンバーに恵まれて、とても有意義な視察だった。
実際に現地を見て感じたのは、自治体によって工事の進捗状況に大きな差があるということ。それは、今回津波が来た場所にはまちをつくらない自治体、今回浸水した場所に高層建築物を建てて避難場所を確保する自治体など、自治体によって基盤整備の方法が全く異なるからだという。奇しくも、今日はあの未曽有の震災から5年半という節目の日。災害公営住宅も当初予定は6割ほどの完成しかないというが、これらの膨大な基盤を整備し新しくまちをつくるには、限られたマンパワーを最大限に活かしてもまだまだ時間が必要だと思う。
5年半でよくぞここまで、と思う反面、そこに住むひとたちからすれば焦燥感を覚えるのも無理はないだろう。いつだって、なんだって、なくなるのは一瞬なのに、イチからつくり上げることはとてもとても難しい。

3年前に書いた日記の中で、「復興が終わるまで、必ず一度は行くことになるよ」と言った先輩がわたしのすきなひと。当時は「そうかなぁ、そんなに長くかかるものかなぁ」なんて思っていたけど、彼の言っていたことはあながち間違いではないかもしれない。実際に東北に配属になるだけでなく、首都圏にいながら復興の仕事に携わる可能性は十分にあるだろうし、現に今、わたしはその状態に片足を突っ込んでいるとも言える。いやだいやだと逃げてばかりいないで、しっかりと向き合わなければダメなのだ。

忘れたいこと。でも、忘れずにいること。記憶の中で淘汰されゆく過去に向き合い、自分にとっての宝物をいつまでも大切にすること。そして、そのための勇気を持つこと。

話が変わるが、すきなひとは9日に誕生日を迎えた。たぶん45歳になった。「アラフォーを通り過ぎてアラフィフだ!おじさんだ!」なんて、去年までのわたしなら大いに彼をからかっていたことだろう。彼に「うるさいなぁ」と怒られるのも、それを見てわたしが笑うのも、彼が笑顔で応戦してくるのも、今でもちゃんと想像できるのが悔しくて、愛しくて、切なくて、とても悲しい。
最近、彼への想いを断ち切るまでは次に行けないことを思い知る機会が何度かあった。どんなひとに出会っても、恋をしそうになっても、想いを寄せられそうになっても、目の前のひととすきなひとを天秤にかけてしまう自分がいた。どうしたって彼に傾くその天秤を、わたしは今でも捨てられずにいる。
45歳のオジサンに、どうしてわたしはこんなにひかれているのだろう?次に会うときには「なんで彼のことをすきだったんだっけ?」と思っていたりして。それならそれでいい。いい加減、わたしも前に進みたい。すきだと告げて、ふられているのに、いつまでもこんなところで立ち止まっていたくない。それなのに、それなのに。

秋の夜長は、いつだってセンチメンタルだ。