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あの日の夜のことは、きっと、ずっと、忘れないだろうと思う。生温くて湿ったような春の匂いも、すきなひとの傘に落ちる雨粒の音も、濡れたアスファルトを照らす信号の色も、「好きでした」と告げた瞬間の彼の表情も。
「何を馬鹿なことを」と言いかけた彼は口をつぐんで、「とりあえず聞いておきます」と言葉少なに笑っていた。最後に渡した手紙とプレゼントは、引越しで余った福岡市指定のゴミ袋の束に紛れこませた。わたしは泣かなかった。笑顔で手を振ってさよならをした。これで最後だ、と思った。
宿泊先のホテルで声を上げて泣いた。翌朝、福岡を発つ飛行機の中でも泣いた。新居に荷物を入れ終えてからも泣いた。3日間、ひたすら泣いたらとてもすっきりした。

地震が起きて心配になってメールをしたり、彼から突然手紙と贈り物が届いたり…福岡を離れてからも、彼とはときどきなんてことないやりとりを交わしている。彼も、わたしも、おとなだから。「すき」と告げたり告げられたりしたところで、これまでの関係が壊れるわけじゃないんだと思ったらちょっと安心した。そこには未だに「すき」の感情があるような気もするんだけど、正直、わたしはそれを超越した気持ちで彼のことを思い、考えているのかもしれない。
いずれにせよ、わたしにとって彼が大切なひとであることに変わりはないし、彼とそういう関係を築けたことを今は誇りに思います。

地震が頻発している中、災害対応の重要なポジションを任されている彼がまさに忙殺されているであろうことは想像に難くない。どうか元気に、無事でいてほしい。わたしは、ただただ、そう祈っている。

甘くて、苦くて、切なくて、とてもすてきな恋でした。