snow

結局、今日は嬉野温泉に行かなかった。

朝起きて、すきなひとに会いたくなって、でも、連絡しづらくて。顔を洗って、朝ごはんにパンをかじって、パジャマを脱いで、お気に入りのニットに袖を通した。嬉野温泉に行くのをやめようと思ったのは昨日の深夜のことだった。もはやどこに出かけるつもりもなかった。空を見上げたら、今にも雨が降り出しそうな灰色の分厚い雲が広がっていた。とても寒い土曜日の始まり。

洗濯をした。掃除機をかけた。一息ついて、携帯を手に取った。すきなひととのLINEの画面を開けたり閉じたりしながら、意を決してメッセージを打ってみたものの、どうしても送信ボタンに触れる勇気がなかった。お昼ごはんを食べるほどお腹も空いていないし、すきなひとに連絡しようかどうしようか散々迷っているうちに、結局お昼ごはんを食べ損ねた。
CDコンポから流れてきたミスチルの『くるみ』を聴いていたら、なんだか泣けてきちゃった。やっぱりすきなひとに会いたいと思った。送信ボタンに触れたら数分後、すきなひとから返事が来た。たぶん、朝、お気に入りのニットに袖を通した時点で、わたしは今日はすきなひとに会いに行くんだと心に決めていたのだと思う。

夕方6時にいつもの場所で待ち合わせ、ハンバーグを食べに行った。ちょっと前に新しく開店したようで、お店の前を通るたびに気になっていたの。すきなひとは、そんなお店ができていたことも知らなかったらしい。びっくりするほどたっぷりの肉汁がぎゅっとつまって、ころんと丸いハンバーグのおいしいこと!「おいしい」「おいしい」と言いながらあっという間にごちそうさま。
「まだ帰りたくない」と言ったら、すきなひとがカフェに連れて行ってくれて、ずいぶんと遅くまで話し込んでしまった。ふたりでこうして話をするのはとても久しぶりな気がした。最近の寒さのせいで寝坊を繰り返しているわたしは、いつもどおりの時間に家を出られず、すきなひとにも会ってない。「最近、朝会わないなって思ってたら、そういうことだったの」と、半ば呆れられた。

病院で検査を受けたこと。結果を待っていること。結果次第では入院したり、手術をしたりするかもしれないこと。すきなひとに話すつもりはなかったけど、全部打ち明けた。彼は驚いていた。「これまでどうして健診で診てもらわなかったの」とちょっと叱られた。「まだ若いんだから、もし悪性だったら進行が早いんだよ」とも。
彼の言うことはごもっともで、わたしは返す言葉がなかった。でも、変に心配したり、なぐさめたり、そういうのが一切なかったことがわたしにとってはとてもありがたかった。だからかな、彼には不思議と何でも話せるし、そういうひとが近くにいてくれることはすごく恵まれていると思う。(彼がどう思っているかはわからないから、すべてわたしのエゴかもしれないけれど。)
彼は、良くも悪くも“竹を割ったようなひと”で、思ったことははっきり言うし、ときどきそれで傷つくこともあるんだけど、自分の信念を一本曲げずにしっかりと持っているところや、最後はちゃんと一生懸命やさしいところは、わたしはとてもすてきだと思う。そんな彼が「きっと大丈夫だよ」と言ってくれるから、「わたしもそう思ってるよ」と言った。彼の言葉にも、わたしの言葉にも、ひとつも嘘はなかった。冬の夜空にきらきらと瞬くオリオン座みたいに、きれいに澄んだ色をしていた。

「あなたに話せてよかった。ありがとう。」と伝えたら、彼は「思い悩まず話して発散しないとね」と言っていた。そして、やっぱり、「すきなひとにすきだと言えないまま死ぬのは嫌だな」と思った。彼はいつもどおり駐輪場までいっしょに歩いてくれて、そこでお別れした。帰り道、自転車に乗りながら、(彼には申し訳ないけれど)わたしはとてもすがすがしい気持ちだった。

遠くに行かなくても、すてきな土曜日だった。