真夜中の戯言。不快に思われたらごめんなさい。

 「死にたい」と思うだけなら自由じゃないか、と考えながら家路を急ぐ。特に意味はない。青いストライプのリネンのブラウスが、まるで海上でピンと帆を張るヨットみたいに風に煽られてぱたぱたとはためいていた。

午後6時半、薄雲にぼやけた太陽が福岡の街をオレンジに染めはじめ、日の入りまではまだまだ時間がかかることを悟る。最近は残業せず、寄り道もせず、まっすぐ家に帰ることが多かった。こころが疲れているときは、家でのんびり好きなように過ごすのがイチバンの薬。

何度目かの「もうやめよう」は、意外と持ち堪えている。どうしても気にせずにはいられないけど、「会いたい」も「話したい」も自分の中でうまく消化する術を身につけつつある。
“結婚しない”という選択は彼に底なしの自由を与える。結婚している彼女とだって、わりきってしまえばなんでもできるし、わたしはそれを悪いこととはあまり思わない。彼が結婚に興味がないと言う理由はそこにあるのかもしれないね、と、今月末で閉店を迎えるカレー屋の中で会社の同期に愚痴る午後10時。「諦めちゃうんだ」と同期がつぶやいたそのたったひと言がこころの奥のほうで引っかかってる。でも、それがなぜだかわたしにはよくわからない。
このまま終わっていいのかな。ちゃんと終わらせることができるのかな。潔くふられたほうが身のためではなかろうか。だけど、そんな自己満足のためだけにすきなひとを困らせるようなことはしたくない。この気持ちはわたしひとりで大事にしまっておくべきか、それともすきなひとに打ち明けるべきか。迷って悩んで考えて、こんなことばかりもう何度考えただろう。いい歳してバカみたいだ。こんなわたしが生きている価値なんてどこにあるのだ。いなくなったほうがいい、いっそ死んだほうがマシじゃないか。

というか、こんなわたしに生きている価値を見出そうったって、そんなものはそもそも持ち合わせていないんだろうけど、せっかく与えられた命ならどんなに醜態を晒してでも一生懸命に生きなくちゃいけないな、とは思うのです。ときどき「死にたい」と思いながら、でも、そんな自分を認めてあげながら、それでいいんだと自分に言い聞かせながら、きっとわたしは明日も明後日も這いつくばって生きてく。実にくだらないけど、たぶん、そういう生き方をわたしは心のどこかで「楽しい」と思いながら今日までやってきたんだろうね。無様なら無様なりにおしゃれしたいし、「明日何着て出かけよう」とか考えてワクワクすることのほうがずっと健全。なんだろう、生きてゆくって、そんなことの繰り返しなのかな。

なんだかよくわかんないけど、すきなひとに「すきだよ」って言ってみたくなった。