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藤城清治氏の展覧会へ行ってきた。今日が最終日だったからか、会場には大勢の人が詰め掛けていた。
はるか昔、北海道に帰ったときに今は亡き祖父につれていってもらった木工玩具のミュージアムには彼の作品が何点か常設展示されていて、そこで彼の影絵を初めて目にしたときの衝撃は今でもよく覚えている。鮮やかで柔らかな色づかい、光をとおしてさらに美しくきらめく世界観、“こびと”や動物たちは今にも動き出しそうな躍動感を以て丁寧に描かれていて、そんな作品の数々を驚きと感動を以て食い入るように見つめたあの日と同じように、今日、わたしはあらためて彼の作品を目にすることができたことをとても幸運に思っている。
展覧会の最後にあった、北海道の藻岩山から見る夜景と「恋人の聖地」である幸せの鐘を描いた作品がものすごくよかった。黒と白の対比は北海道の澄み切った夜空と無数の街の光をとても印象的に浮かび上がらせていて、見ていたらなぜか涙がこぼれた。その作品と離れるのがとても寂しくて、わたしは10分ほどそこに佇んでいた。安曇野に行って、いわさきちひろ美術館を訪れたときの感動によく似ていると思った。
そこに飾られているだけの絵が、観る者のこころをこんなにも動かす力を持っているなんて俄かには信じがたい話だけれど、それほどの力を作品に宿すことができる作者たちをわたしは心から尊敬すると同時に、わたし自身も絵を描くことが好きだからこそ、そんな作者たちをとてもうらやましく思うのである。

やりたいことがなかったわけじゃない。ごく普通の大学を出て、ごく普通に就職をするのが正解だと思っていた。美大に行きたいと考えたこともあったけど、やっぱり親には言えなかった。やりたいことを意地でもやりぬいてみせるという気概と、そこに足を踏み入れるあと一歩の勇気がわたしには足りなかった。ただそれだけだ。
でも、あのときの決断をわたしは後悔していない。間違っていたとも思わない。今の仕事を辞めてしまいたい!と思うこともあるけど、そこまで苦に感じることはあまりない。上司や先輩、後輩にも恵まれている。ほんとうにしあわせなことだと思う。

生きることへの感謝、喜び、藤城清治氏のコメントはそんなものであふれていた。病気になったことさえ「90歳の出会い」と前向きに捉えていた。御年91歳にしてなお余りある創作への意欲はそういった想いから湧き出ているのだろう。浮ついた感情よりも大切にしなくちゃいけないことはたくさんたくさんあるはずなのに、叶わぬ恋にめそめそしているわたしがとてもちっぽけに思えてはずかしかった。
いつか、ちゃんと忘れられたらいいなと思った。

今日はいい一日だった。