5月、一年でいちばん緑の映える季節。
今日は人混みの喧騒から逃れるようにして過ごした。博多駅から出発する特急が軒並み満席だったことは想定の範囲内。自由席に座り、ゴントランシェリエのパンをかじりながら吉野ヶ里公園駅へ。
青い空に蒼い山がとてもうつくしくて、向こうにそびえ立つ物見櫓から見下ろす景色もすばらしかった。汗ばむほどに晴れて、心地よい風が吹いて、泣いてばかりだったわたしのこころにもすこしだけやさしい光が射した。
名前も知らない花だけどあちこちに咲いていた。淡いむらさき色の可憐な花、それでいてとても芯が強そうな花。
小学生のころから古代史がすきだ。
歴史の教科書で初めて吉野ヶ里遺跡の名前を目にしたとき、「佐賀?佐賀なんかきっと絶対に行かないよ」と思っていたけど、当時のわたしが今日のことを知ったら小さな目を丸くして驚くんだろうなぁ。
吉野ヶ里公園駅から神埼駅に移動。九年庵を目指す。
せっかく佐賀まで来たのにこのまま帰るのはもったいない…という貧乏性丸出しの理由だけで探した“吉野ヶ里遺跡周辺の観光施設”が九年庵だった。そもそも、わたしは九年庵のこともよく知らないから写真さえ撮れればいいと思ってた。タクシーで1600円もかけて見に行くようなところなのかな…と半信半疑で訪ねたけれど、いやはや驚いた。予想以上にすてきなところだった。
春の光に葉脈を透かす春モミジ。
建物の軒先に腰掛けながらたっぷりのマイナスイオンを浴びて。
苔の絨毯はみとれるほどのうつくしい緑!(九年庵近くの仁比山神社境内にて)
鳥居への階段にモザイクをかけたような木漏れ日はおだやかで、やさしくて。
都会っ子の彼は「なんにもないところだ」とか「ひとが全然いない」とか言うだろうな、と思った。そう言ってる彼の声がすぐ傍に聞こえてくるようだった。でも、そんな彼にも見せてあげたいと思った。この目にも鮮やかな緑は都会じゃ絶対に見られない。つまるところ、わたしはこういう緑の茂った庭園を眺めながら、いたずらに時が進んでゆくのをひとりで楽しめるタイプの人間だ。おかげさまで、ここ数日さめざめと泣いてばかりいたことがなんだかちっぽけに思えるくらい、心が洗われた休日になった。
彼にアドバイスするなら、「吉野ヶ里遺跡は一回行けばいいやって感じだけど、九年庵は機会があれば何度だって行きたい」とわたしは言うと思う。でも、たぶん、いずれも彼には縁のない場所のまま終わる気がする。あぁ、なんてもったいない。
残念ながら明日からは雨の予報。たまった家事を片付けて、手紙を書いて、勉強をして、おいしいものを作って食べる予定。ひとりでいるとどうしても彼のことを考えてしまうから、ほんとうは家にいたくないんだけど、雨に足元を濡らしてわずらわしく思うよりは家でのんびり寛いで過ごそう。
たまの連休くらい、自分の気持ちに正直に。
九年庵の近くを流れていた川でひとりぼーっと過ごすのもいとをかし、でした。