sapphire

建国記念の日。週半ばの祝日は、日々の頑張りにちょっとしたご褒美をもらったような気持ちになる。
すこしだけ寝坊して、簡単に朝食を済ませ、洗濯物を干して、掃除機をかけて、すきなひとに渡すためのお菓子を作った。バターを練り、砂糖をすり混ぜ、卵を加え混ぜ込んでから、小麦粉をふるって入れる。できあがった生地をスプーンですくい、カップにぽたぽたと落とす。余熱で温められたオーブンレンジの回転台の上に乗せられて、くるくると踊り出したカップケーキたちが少しずつふくらんでゆくのを、わたしはただひたすらに眺めていた。

ふたりでミスチルのライブフィルムを観た。彼は途中、わたしのとなりでちいさな寝息を立てていた。「エンドロールでセットリストを見たけど、あの曲、歌っていたかな?全然記憶にないんだ」と笑う彼に、疲れているところを誘ってしまって無理させちゃったかな…と不安になった。
映画館を出ると、「夕食って時間じゃないね、お茶でもして帰ろう」と彼が言うからついていった。わたしは、右手にぶらさげた紙袋をいつ渡そうか、と、そればかり考えていた。
他愛ない話に笑ったり、次の約束の計画を立てたり、冗談を言い合ったり、彼の話に相槌を打ったり、いつもどおりのしあわせなひとときだった。このままがいい、このままでいい、と何度も願う反面、「すき」というたった二文字を伝えることで変わるかもしれないこと―こんなささやかなしあわせすら失ってしまうかもしれないという恐怖と、“このまま”を超えられるかもしれないという微かな望み―の両極で揺れるわたしのこころは、いつまでたっても定まらない。

時計が19時を回ったころ、わたしたちはカフェを出た。新天町の入口で、「さよなら」と手を振る直前に、わたしは紙袋を差し出した。緊張した。手が震えた。いい歳してとてもはずかしかった。「自分で作った」ことを伝えたら、彼はとても驚いていた。でも、今日一番の素敵な笑顔を見せてくれた(とわたしは思っている)から、ちゃんと渡せてよかった。
結局「すき」とは言わなかった。言えなかった。でも、「それでいい」と思った。

帰り道、サーカスの赤いテントがなくなっていることに気づいた。毎朝こころの中で「おはよう!」と挨拶をしていたキリンの代わりに、さらに首の長いクレーン車が現れて、ひとつひとつ丁寧に、でも機械的に、テントの枠組みを解体しているところだった。わたしはたまらなくなって、小さな声で「すき」とつぶやいた。空には青い星がひと粒だけ輝いて見えて、それがとてもきれいだと思った、そんな夜。