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すきなひととふたりでサーカスを観てきた。会社で職員全員に無料券が配られたのだ。ふたりでいるところを会社のひとに見られたくないわたしたちは、朝イチの公演を観に行こうと決めてとても早い時間に待ち合わせをした。

サーカスの会場はわたしの自宅から徒歩5分ほどのところ。いつもひとりで利用する駅に彼がいるのも不思議だったし、いつもひとりで歩く道を彼といっしょに歩いているのも不思議だった。そう感じた自分の気持ちを彼に素直に伝えてみたら、「俺だってサーカスがなければここまで来ることはなかったかもしれない」と言っていた。わたしは自宅の近所にまでふたりの足跡をつけてしまったことを後悔した。だって、わたしはきっとこの道を同じように歩くたびに今日のことを思い出すし、そして、毎日のように思い出しては苦しくなることが目に見えているんだもの。
開場を待つ間、寒空の下、行列に並んでふたりで他愛無い話をしていたら、「今日の夜、何か予定が入っていたようだけど?」とふいに彼が尋ねた。いつの間にやら会社のパソコンでわたしが登録したスケジュールをチェックしていたらしい。「今夜は仕事で外部の有識者とのミーティングがある」ことを伝えて、「また家に帰るのもめんどうだし、あなたと別れたあと夜までどうやって時間を潰そうかと思ってるの」と正直に話した。彼と別れる時間を明確に決めていたわけじゃないけれど、サーカスを観てふたりでお昼を食べたらすぐにさよならするだろう…となんとなく思っていたから。でも、それを聞いた彼が「じゃあそれまでいっしょに過ごそうか」と言ってくれたから、わたしは彼の言葉に甘えることにした。

サーカスを観て、お昼ごはんを食べようと近所でお店を探した。いつも並んでいる評判のうどん屋さんがあったのを思い出してお店を覗いてみたら、わたしと同じ宿舎に住んでる同期の男の子が彼女とふたりでうどんをすすっていて、「同じお店に入るのは気まずいね」というふたりの意見が合致したから仕方なしにうどん屋さんを諦めた。同期の男の子には、わたしが彼といっしょにいるのをばっちり見られてしまった。
それならば、と巷で有名な中華料理店へと足を運んでみたけれど、こちらもさすがに有名店だけあり、13時を回ったにもかかわらず結構な人数の行列が続いていた。すっかり怖気づいたわたしたちはすごすごと引き下がり、三度目の正直に選んだのはわたしが前から行ってみたかったカレー屋さん。運よくすんなりとお店に入れて、ふたりでカレーを食べた。しばらくお米を食べていない、という理由でわたしはライスを選んだけれど、彼が食べていたナンもおいしそうだった。
カレー屋さんを出て、ふたりでバスに乗って天神へ向かった。バスを降りたらわたしの上司にばったり会ってしまって、これもまた気まずかった。ぶらぶらと街を歩きながら、彼が「どこかでお茶でもしましょうか」と言うからうなずいた。いつだったか、ふたりで太宰府天満宮へ行った帰りに立ち寄ったカフェに入っておいしい紅茶とケーキを食べた。
おしゃべりにたくさんの花が咲いたところで、あっという間にミーティング場所へ向かわなければいけない時間になった。わたしは「いやだ、めんどうだ、行きたくない」と言いながらも諦めて帰り支度を始めた。「行かなくてもいいなら断っちゃえばいい」という彼の悪魔のささやきに一生懸命首を横に振りながらも、「行きたくない」と駄々をこねるわたしの姿を見て彼は笑っていた。カフェでのお会計を彼はすこしだけごちそうしてくれた。「ありがとう」とお礼を言うと、彼は「お仕事がんばって!」と言って微笑んだ。

ほんとうは離れたくなかった。ずっといっしょにいたかった。そんなわけにもいかないから、わたしは彼に笑顔で手を振った。彼にくるりと背を向けてエスカレーターを昇り、電車に乗り込んで、車窓を流れる夜の福岡の街を眺めながら、わたしはどんどん欲張りになってゆく自分をすこし怖いと思った。

カフェでの話。彼がお手洗いで席を外している間に置いてあった雑誌をぱらぱらとめくっていたら、クッキーのレシピが載っていた。わたしはバレンタインデーのことを考えていた。そのうちに彼が戻ってきたから「あなたはひとが手づくりしたお菓子はあんまりよろこばないような気がする」とそれとなく探りを入れると、「そんなことないよ、甘いものは好きだからなんでも食べるよ」と答えてくれた。変なところで神経質そうな彼のことだから…と思って聞いてみたのに、考えていたのと違う答えが返ってきて、今年のバレンタインデーはどうしよう?と逆に迷う羽目になってしまった。勝手な思い込みはよろしくない。そして、もうそんなことを考える時期なのだなぁ、という気持ちでもある。「すき」だという想いを伝えるかどうかは別としても、彼に対して心からの感謝の気持ちだけは精一杯伝えたい。そのための手段でしかない「お菓子」にこんなにも惑わされるなんて本末転倒だけど、すきなひとが相手だもの仕方がない。
今年のバレンタインデーは土曜日、彼は埼玉には戻らず福岡で過ごすと言っていた。ここ数年はいつも義理チョコばかり、デパートのチョコレートで済ませていたけれど、今年は久しぶりに手づくりのお菓子を作ってみようかな。