霞色

給料日はノー残業デー。残務多々ありながら後ろ髪を引かれる思いで退社。1階のエントランス、大きな柱の物陰で彼が待っていた。今日は、彼のすきなひとが来福する日。
お店へ向かう道中、彼はいつもよりテンションが高かった。よっぽどうれしいんだろうなと思いながら、わたしはこっそり苦笑い。お店に着くとすでに彼女が待っていた。相変わらずうつくしいひとだった。
彼と彼女は、彼が埼玉へ帰ったときにもときどき会っているようで、ふたりにしかわからない話題で盛り上がったり、わたしの知らない彼の話を彼女から聞いたりした。わたしは、そんなふたりの様子をただ黙って見ているしかなかった。楽しかったけど、ほんとうは胸が痛くて切なくて苦しかった。誰にも言えないこの気持ちを悟られないように、なんでもないフリをするのはとても難しい。「埼玉に戻りたいなぁ」とつぶやく彼のひとことは、いつものそれよりもずっと重みを増して聞こえた。
お店を出た。想像以上の寒さにこれから訪れるであろう福岡の冬の厳しさを思う。スーツのポケットに手をつっこんで歩く彼、その横を淑やかに寄り添う彼女。わたしはひとり自転車を押しながら、その後ろをしずかについてゆく。
ふたりはそのまま肩を並べて地下鉄の駅へと階段を下りていった。「元気でね」と笑う彼女、「また来週」と言う彼に、わたしも精一杯の笑顔で手を振りながら自転車に乗った。いつもの帰り道、見慣れた景色がぼやけて見えて、それはそれはありとあらゆるいろいろなことを考えたけれど、家に着いたときにはもう、どんなかたちであれ彼にしあわせになってほしいと、ただそれだけを思った。