薄葡萄

土曜日の午後2時、どきどきしながら天神駅へ向かった。約束の時間を少し過ぎてしまった。いつもの場所に彼はいなくて、「7番出口にいます」と連絡が来たものの7番出口が見つからず。「どうしてこんなところで迷うかなぁ」と電話口で笑われながら、結局、いつもの場所でやっと会えた。
彼と最後に会ったのはいつだったかな。ろくに話もせず、顔を合わすこともしないまま2週間ほど経っていたように思う。どちらともなく「久しぶりですね」と言いながら映画館へ向かって歩く。やさしく冷たい秋風に彼の香水の匂いがした。懐かしい、と思った。
るろうに剣心』はおもしろかった。少し寒いと思っていた映画館も、映画を観終わるころに暑いと感じたのはそれなりに興奮していたからだと思う。わたしは原作を知らないけれど、彼も「おもしろかった」と言っていたからよかった。
映画が始まる前の映画館、小さな声でとなりに座る彼ととりとめのない話をするのがすきだ。あたたかい胸の鼓動が伝わるくらいに近い距離で、すきなひとの甘い声を聞けること。うれしいとかせつないとかしあわせとかくるしいとか、いろいろな感情のせめぎあい。でも、それは映画館のせいじゃない。わたしはいつだって、彼のとなりにいれば同じことを思ってる。

映画を観終わっていっしょに夕飯を食べに行くつもりだったけど、少し時間が早かったから、ふたりで本屋さんへ行ったり、パルコのホークス優勝セールをひやかしたり。天神から大名へ向かう途中、見上げた空は淡い紫に染まっていた。真っ白な月がきれいに映えて、風が強い夕暮れ。
適当に入ったお店は雰囲気のよい小料理屋のようなところで、お上品な料理がとてもおいしかった。彼もわたしもあまりお酒は飲まず、カウンターにふたりで並んで食事をしながら積もる話をした。あれもこれも聞きたかったし、話したかった。彼も同じのようだった。いつもより饒舌で、楽しくて、素直な彼にときどき傷つきながら、わたしはやっぱり彼を諦められないなと思っていた。

日に日に秋が深まって、わたしはとてもせつなくて、それでも彼は変わらずにGoing my wayだから、どうしようもなく泣きたくなることもたまにはある。でも、きっと、こうして過ごす毎日にはちゃんと意味がある。わたしらしい毎日を、真面目に生きる意味がある。
おいしいごはんを食べられること、ちょっぴり仕事が上手くいくこと、すきなひとを想いつづけること。何もかもがきらきらと目にまぶしい世界よりも、暗闇にたったひとつだけ星が輝くような、そんな暮らしでいい。わたしには、そういう世界が似合ってる。ちいさなしあわせを拾い集めながら、単調に過ぎてゆく日々でもたいせつに生きてゆきたい。そして、いつか、そんな自分をすきになれたらいいと思う。