焦香

先日の水曜日、仕事でとても嫌なことがあった。
怒りやら悲しみやら悔しさやら、そんなどす黒い感情が渦を巻くようにしてわたしをいらだたせ、気を抜けば仕事中にもかかわらず涙がこぼれそうで、ノー残業デーとは言えそのまま帰宅する気にもならず、かと言ってひとりで飲みに行くような勇気もなく、ただ話を聞いてほしくてすきなひとに連絡を取り、夕飯に誘った。
すぐに返ってきたメールには、「先約があるからごめん」と丁重なお断りの言葉が並んでいた。それだけならまだ諦めもつくが、「代わりに他のひとも誘って来週はどうか」と言われ、そんな代替案をわたしは手放しには喜べないし、あなたに話を聞いてほしい!というわたしのささやかな望みはいとも簡単に握りつぶされてしまったわけで、どうしようかと悩んだわたしは、結局、彼にとって“聞き分けの良い子”を演じるつまらない女に成り下がったのだった。

仕事も恋も生きることさえも、すべて投げ出したいと思うことが稀にあって、今、わたしはちょうどそんな感じだ。
好きでもなく、興味もなく、思いどおりにも行かず、ただストレスが溜まるだけの仕事。追いかけても追いつけない、振り向いてさえもらえない彼の背中。会社の前の大きな通り、交通量の多いその場所で信号待ちをしている朝、「今、ここに飛び込めば、わたしはすぐにでも楽になれるのに」と、福岡に来てから何度思ったことか。

くだらない。くだらないとは思うけど、死ぬ勇気がないならしがみついてでも生きるより他はない。

土曜日の夜、ひょんなことから関東にいる同期と酒を酌み交わし、彼はこの3月まで九州にいたこともあり、「ここはひとりで来るのにおすすめのお店だ」とすてきなダイニングバーを教えてくれたから、今度ひとりで再訪してみようと思っている。
それから、週末にのめりこめるような趣味をと思い立ち、学生時代に夢中になっていたクラリネットを再開すべく福岡市内の吹奏楽団を探したりもした。まだコンタクトは取っていないけど、これも近いうちに挑戦してみたいことのひとつ。
7月の出雲・松江の旅、9月は毎年恒例の北海道、そして仙台にも行くことにした。秋には湯布院へ行ってみよう。ひとりで気兼ねなくどこへでも、楽しむために稼ぐお金なら仕事が嫌だとは言っていられない。

諦めることはひとつでいい。そのために、わたしがわたしらしく前向きに生きようと思えるなら、わたしは潔くあなたを犠牲にしたい。あなたを忘れるための夜の街、新しい輪、ひとり旅、そんなものでわたしの興味を隙間なく埋めつくして、あなたの入り込む余地などなくしてしまえたらと思う。
とはいえ、胸中、ちっとも穏やかではないのである。この気持ちに慣れることなど、この先ぜったいにないのである。彼をすきでいることに鈍感になるどころかますます想いを募らせて、密やかに恋焦がれ、切なく胸を痛め続けることだけはなにひとつとして変わらない。

あぁ、気づけば日が変わり、新しい一週間がはじまってしまった。
真夜中に書き殴ったこの複雑な気持ちを読み返すとき、わたしは一体何を思うのだろうか。