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『聖の青春』読了。本をぱたりと閉じたあと、とめどなくあふれる涙をわたしはどうすることもできなかった。

わたしはこれまでも大崎さんの著書を数多く読んできたけど、彼が作家として世に躍り出るきっかけとなったこの本については、存在こそ知っていたものの未だ読んだことがなかった。古本屋でわりと状態のいい文庫を見つけて、迷うことなく手に取った。それが、わたしとこの本との出会いだった。

29歳で夭逝したひとりの天才棋士は、自らの才能に驕ることなく血のにじむような努力をひたすらに重ねたひとだった。命にあまり執着もせず生きる目的はただひとつ、それは「名人になること」。将棋を知り、将棋を学び、将棋を指し、強くなって勝ち続け、いつか必ずや「名人」になるために、彼は生きた。幼いころからの病で自らの生涯が他人よりも短いことを悟っていた彼は、最期まで自らの生き方を貫き通したのだった。
大崎さんの文章もさることながら、わたしは「村山聖」というひとりの棋士、ひとりの人間にあっという間に心を奪われてゆく。彼の人間性、生き様、誰をも愛し誰からも愛されたそのやさしさと素直さ、勤勉さ、そして時に剥き出しとなる彼の恐ろしいほどの頑固さまでもが、わたしの心を捕えて放さなかった。彼がこの本の中で必ず最期を迎えてしまうことを知っているからこそ、ページをめくる手が止まらないのと同時に、彼の生涯が幕を閉じる瞬間を“遺された者”の中のひとりとして見届けることが怖くなり、あえて本を閉じてしまうことも多々あった。

師匠と聖の、大崎さん曰く「完全な愛の形」がまた、とても温かく綴られている。そんな愛の形は、この本の中に、つまり聖の一生の中に溢れんばかりに散りばめられていて、師匠が聖を想う気持ちが痛いほどに伝わってくる。聖の死を告げる師匠と告げられた大崎さんがそれぞれにとって大きすぎる存在を失い、喪失感以上の何かに苛まれる瞬間。「僕がしてられることはもう何もないのか」という葬儀場での師匠の悲痛の叫びが本当に聴こえてくるようで、わたしは今も涙が止まらない。
それはもちろん、「村山聖」というひとりの人間がこの世からいなくなってしまった悲しみに他ならない。この本でしか知りえない彼の死を悼み、彼の無念を思ってここまで泣ける自分に驚くとともに、おそらくは彼が持っていた類稀なる人間としての魅力、それこそが多くの読者の心をわしづかみにするのだろうし、そんな彼を一冊の本の中で十二分に蘇らせた大崎さんの文筆家としての手腕に心から敬服する思いだ。

長々と語ってしまったけれど、「聖の青春」、この本は間違いなくわたしの中でのベストセラー。再び古本屋に持っていく、なんてことは絶対にできないと思っている。