aquamarine

今週末のこと。

日曜日、石巻・大川小学校・女川と、東日本大震災の際に津波で大きな被害を受けた被災地を訪ねた。いくつか写真を撮ってきたので、載せていく。

被災地の現状は、いつだってある程度のフィルターをとおして報道されている。新聞、テレビ、ラジオ、インターネット、ありとあらゆる情報媒体をくまなくチェックしたとしても、それらの媒体が被災地のすべてを報じることは不可能だし、わたしたちが被災地のすべてを知ることも不可能だ。
また、車で被災地をゆるゆると流し、車窓から眺めるだけでは伝わらないことがたくさんあるということを、わたしは今頃になって初めて思い知らされた気がする。
実際にその地に降り立って、この足で歩き、その場所で、そこにあった数々の生活の営みを思い返すこと。廃屋と化した校舎前に佇み、そこにあった数々の子どもたちの笑顔を思い返すこと。欠けた茶碗、焼け焦げた衣服、擦り切れた靴底、泥だらけの体操着、風にたなびく破れたカーテン、わずかに床材が残った体育館、玄関門の痕跡、小さな長靴、なぎ倒された墓石、無造作に置かれた花束と、流れ着いた炊飯器を鉢に咲く名もない一輪の花。

震災から丸二年が経ち、未だこの現状であることに驚くとともに、知らないでは済まされない、そんな現実がそこにはあったと感じる。わが身に降りかかったことを淡々と受け入れつつ復興に向けて立ち上がる被災者…とは言いながらも、未だその胸中は、戸惑いや苦しみ、後悔、寂しさ、脱力感、一口で言い表せないほどの複雑な想いでいっぱいなのだろう。愛する家族、友人、恋人、恩師、先輩、後輩、亡くなったひとの数以上の涙に染まったような海の色が、わたしの心を締め付けた。言葉で上手く言い表せないけれど、首都圏でのうのうと暮らす自分が本当に小さく思えてしかたなかった。
仕事柄、いつか、被災地で仕事をすることがあるだろう。「復興が終わるまで、必ず一度は行くことになるよ」と、今回一緒に行った会社の先輩にも言われた。わたしができるのはほんの些細なことで何の役にも立てないだろうけど、何らかのかたちで復興に携わることができたら、一生懸命に仕事をしたいなと思った。