lightgreen

f:id:irodori-no-sekai:20190910094618j:plain

f:id:irodori-no-sekai:20190910111409j:plain

f:id:irodori-no-sekai:20190910111434j:plain

f:id:irodori-no-sekai:20190910113219j:plain

日ごとに変わる天気予報にやきもきしながら、結局のところ稚内に行くことは諦めてしまったのだけれど、一泊二日で豊富町を思う存分満喫でき、われながらとてもいい選択をしたと思う。まさに「二兎を追うもの一兎も得ず」というやつだろう。

初日はずっと泊まってみたかった温泉宿で温泉三昧。石油の混じるめずらしいお湯で、夜の月見風呂はもちろん、早朝、冷たい空気がぴりっと締まった露天風呂で朝焼けを眺めるのもとてもよかった。
翌日、観光のためにレンタサイクルを借りるも、まさかの“電動自転車品切れ”というピンチに見舞われた。そのため、大規模草地牧場までのとんでもない高低差をママチャリでえんやこらと走ってみたり(途中で泣く泣くギブ)、サロベツ原野までの約13kmの道のりを向かい風の中ママチャリでひたすら爆走してみたり(お尻が痛い)と、思いのほかワイルドなひとり旅になった。
来年こそは車の運転の練習をしようと心に誓い、特に大規模草地牧場は次のリベンジに期待したい。

何より天気がよかったのだ。自他共に認める雨女のわたしが旅に出たというのに、折りたたみ傘を家に忘れても平気でいられるくらい雨の予感がなかった。

この空の青さと果てしなく続く牧草地のライトグリーンが目に眩しくて、サロベツ原野の向こうの利尻富士雄大にそびえる様がはっきり見えて、どれもこれも、ひとりで味わうにはもったいなくて、まるで夢の世界にいるようで、胸がいっぱいになった。泣きそうになった。
ひとは、ほんとうに美しいものを見るとこういう気持ちになるんだなと、そんなことをあらためて思う旅だった。

ちなみに、往路は特急宗谷(JR)で。復路は特急はぼろ号(バス)で。
復路のバスは留萌で高速に乗るまでずっとオロロンラインを走るため、ちょうど海に沈む夕焼けを眺めながら帰ってくることができたのだけれど、これまたすばらしい景色で感動した。留萌で17時55分前後に日の入りを迎える時期なら、特急はぼろ号の最終便はたぶん最高のタイミングだ。個人的な備忘録としても、ここに書き残しておきたいと思う。

宗谷地方、今年最後の夏の思い出。

sunset orange

いつにも増して高い空を仰ぎ、冷たさの混じる風を感じて、札幌の短い夏の終わりを実感する今日このごろ。

暑い盛りの時期、札幌競馬場で生まれて初めての競馬をした。
ディープインパクトの死から一週間足らず、追悼レースもあり、競馬場には多くのひとが詰めかけていた。
いわゆる賭け事だからね、と、すこし斜に構えて見ていたはずなのに、帰るころにはそのおもしろさ、奥深さと、何よりけなげに走る馬の愛らしさにすっかり魅了されてしまった。
勝ったか負けたかと聞かれればたぶん「負けた」のだけど、3分の2くらいは取り返したかな。

お盆休みは祖母の家へ。十勝や帯広のほうへすこし遠回りしながら、たくさん道の駅を回った。
会ったことのない祖父に、ふたつだけ願いごとを聞いてほしくて、お墓参りをして、納骨堂で手を合わせた。わたしと妹を本当の孫のようにかわいがってくれたもう一人の祖父にも、近いうちに会いに行きたい。
祖母の家では、猫の額ほどの小さな庭に、りっぱなじゃがいもと玉ねぎがたわわに実っていた。「持って帰れ」と、車のトランクに入りきらないほど詰め込んで帰宅。しばらくじゃがいもと玉ねぎは買わずに済みそうだ。

北海道は夏がハイシーズンで、“視察”にかこつけて会社のいろんなひとが札幌にやってくるから、彼らの接待のために毎週のようにジンギスカンを食べていた夏だった。ジンギスカンもお店によって全然味が違うので、不思議と飽きることはなかった。とはいえ、正直に言えば、このひと夏で一生分のジンギスカンを食べたと言っても過言ではないかもしれない。

ビールが飲めないくせにビアガーデンに行ったり、近場の温泉に出かけてひとりでぼーっとしたり、近所にお気に入りのカフェを見つけたり、出番はないだろうと思っていたエアコンにも一週間くらいお世話になった。花火だけは、大雨が降ったせいで見に行けなかった。
わたしは、この短い夏をそんなふうに過ごしていた。

8月の終わり、朝晩はすっかり肌寒く、今日からまた編み物を始めました。

濃紺

f:id:irodori-no-sekai:20190802192255j:plain

もやもやしている。
仕事でも人間関係でもなく、自分自身に。
もっと大人になりたい、と思う。
31にもなって変な話だけれど、わたしは幼すぎるのだ。

天真爛漫な後輩たちがうらやましい。
でも、振り返れば、かつてのわたしがそうだったように、
それは若いひとたちの特権なんだろう。
怖いもの知らずに言いたいことだけはっきり言って、
すきなものはすき、きらいなものはきらい、いやなものはいやだと、
それが許されるのはいつまでだっただろうか。

…と思いながらも、
会社の上司や先輩の前では後輩たちと同じようにふるまってしまう自分に、
心底嫌気がするのである。
駄々をこね、わがままばかりの一日を終えてふと思う。
「あぁ、わたしは(年のわりに)なんて未熟な大人なのだろう」と。
ほんとうに恥ずかしくてたまらない。

かなしい
くやしい
くるしい

そんなマイナスの気持ちばかりがぐるぐるしている。

過去の自分の思考と行動の積み重ねが、
今の自分を作っているのだとしたら、
未来の自分は明日からの思考と行動の積み重ねで
変わっていくかなぁ。
十年後、いや五年後、三年後には、
年相応の落ち着きと、偽りのないやさしさを持ったひとになりたい。
そんなひとに、なっていたい。

こんなわたしでも、いつかしあわせになれるだろうか。
恋や愛や結婚ばかりがしあわせのかたちではないと
頭ではわかっているけれど、
ひとりぼっちでぐるぐる考える夜、
わたしにとってのしあわせってなんだろう?と
また、考え込んでしまう。

札幌の夏が、もうすぐ終わるよ。